私がカッパドキアで頑張れるのは
胸の中にアービーが居てくれるから


大好きだったアービー(義兄)が亡くなって一年も経ってしまった。
悲しみは、もう絶対に癒えないとあの時は思ったのに、時間って本当に凄い力があるんだなあ。
今でも、アービーの事を思うと鼻の奥の方がジンジンと熱くなる涙が零れそうになる。
でも、あの頃の胸を抉られる様な悲しみは、かなり…癒えてきた。

アービーは旦那の一番上の姉の連れ合いだ。旦那と義姉は17歳も歳が離れているので、旦那が物心つく頃には義姉は既に結婚していた。アービーは本当に働き者で頭も良かった。いくつもの会社を興して、そのどれをも成功させた。そして全ての売り上げからきっちり計算して、毎年大きな喜捨もしてた。アービーが亡くなってから、人知れず学費を援助していた若者が一人や二人じゃなかった事も分かった。いつも精力的で、大きな声で話し、親戚の集まりでは常にリーダーシップを発揮してくれていた。我がアクラバ(親戚)一同の実質的なリーダーだった。
もちろん、家長はババなので最終的な決断はもちろんババだけど、ババが一番頼りにしてたのはやっぱりこの義理の息子だったと思う。どんなに仕事が忙しくても日曜日は必ず家族の為の日で絶対に事務所に顔を出したりしなかったそうだ。ピクニックの言いだしっぺはいつもこのアービーだった。

私が結婚のためにトルコにやって来た時にも、何かと気を回してくれた。
まだトルコ語が不自由で、こちらの習慣にも不慣れだった私は、心なしか皆の輪から一歩下がって立ってる事が多かったようだ。自分でも気付かないうちに萎縮していたんだと思う。そんな私に「おっちょ!一歩前に出なさい。君は僕等の大事な家族なんだよ!」っていつも叱ってくれた。
結婚式の前には毎日の様にアブラ(義姉)と一緒に電話を掛けてきて「おっちょ、どうしてる?今日は顔が見れないんで寂しいよ。困ったことないか?君のカイナタ(舅)カイナナ(姑)は出来た人だけど、それでもカイナタ・カイナナには違いないんだし、彼らに言えない事やましてや遠く離れたご両親に言えない事もきっと有るはずだよ。そんな事は僕達夫婦に言ってくるんだよ。僕等も娘を遠く離れた所(姪っ子は私達の式の後3週間後にイスタンブルで結婚)に嫁にやって、君のご両親の気持ちが多少なりとも分かるんだから。いいかい、本当の両親だと思って何でも言ってくるんだよ」って毎日毎日繰り返し、なるべく易しいトルコ語を選んで同じ様に言ってくれるので、私にもよく理解出来た。

アービーは自分が実の兄弟では一番下だったので、ずっと弟が欲しかったのだそうだ。義姉と結婚して弟が出来た。自分達の子供と言ってもいい位の小さな弟だ。旦那の事は「エンキュチュクカルデシ(一番ちっちゃい弟)」と言って人一倍可愛がってくれていた。旦那とアービーに血縁関係は無いのに、親戚の中で、旦那が一番アービーの若い頃に似てるのだと、亡くなる前によく言っていた。だから、まだ若いうちの旦那が、悩んだり迷ったりするとその気持ちが「世界で一番よく分かる」のだとも。旦那も、頭が良すぎるアービーに反発する事も有った様だけど、それでもアービーはいつも、その反発まで計算して先回りをしててくれるような人だった。我々の結婚式のちょっと前に体調を崩してアービーが入院した。親戚一同皆心配したんだけど、我々の結婚式にはドクトル(担当医)に無理を言って外泊許可を貰って元気な姿を見せてくれた。当日は朝から披露宴会場や親戚の足回りや食事の準備など、私達の気の廻らない所を次々に手配準備してくれて、先頭を切って踊ってくれた。披露宴を終えて家に帰った時は、私達を待ち構えてくれてて、玄関先で素焼きの壺を割ってくれた。そんな風習は初めて知ったんだけど、旦那も忘れてたそうな。何から何までいつも心配りを発揮してくれたのだ。

私達の式の3週間後にアービーの娘(私達の姪っ子)がイスタンブールで結婚した。
我々も披露宴に招待されて行って来た。アービーの親戚の家に泊めて貰って、ご飯も皆でいつも一緒に食べた。娘の披露宴でも本当に陽気によく踊った。「今日は娘達全員と踊るのだ!」と宣言して、花嫁、その妹、セナ、そして私、と順々にフロアに呼び出して皆の前で踊ってみせた。その時に撮ったアービーとのツーショットが私にとってはアービーとの最後の写真になった。

娘の披露宴の一日後、アービーは還らぬ人となった。
ほんの数時間前まで陽気に大きな声で話していたアービーが心臓発作であっけなく逝ってしまった。娘は新婚旅行へ行く飛行機の中でその知らせを受けて、現地からトンボ返りをしてきた。妻である義姉アブラは、もう、本当に狂い死にしてしまうんではないかと思うほどの半狂乱で泣き叫んで。寝ることも座ることも立っていることも水を飲むことすら出来なくなって、ただただジタバタと暴れて叫んでいた。私もアンネ達と一緒にアブラを押さえ込んで無理やり水を飲ませたり、医者が鎮静剤を打つのを手伝ったりしていた。あんなに悲しい光景は、私にとっても初めての経験だった。アブラは本当にアービーを愛していたんだ。それは前から知っていたけど、夫を亡くして人間はここまで悲しめるものなのか、とアブラの心中を慮って胸が引き裂かれる思いだった。私も旦那が突然亡くなったら、やっぱり狂ってしまうのだろうかと思った。とっても怖かった。目の前の「お手伝い仕事」をしながらも始終涙が止まらなくて、額が重くて熱くて頭を起こしている事が出来ず、床に顔を伏せると、今度は天地がひっくり返った様に周囲が揺らいで感じた。私も眠れていなかったからかな。「天地がひっくり返る」って表現はこんな感覚から来てるのかなあ、と沸騰した頭の片隅で考えていた。

この日に続く一連の葬儀に関する行事については、又改めて書きます。

様々な日程をこなしてもこなしても悲しみは癒えなくて、「喪失感」ぽっかり皆の胸の中に穴が開いたようで、ぼんやりと日々を過ごした。週末になると車の音がする度に窓辺に目をやってしまう。クセみたいなものだ。今にもピクニック用品を満載にしたアービーの車がやって来て「皆!準備しろ!ピクニックへいくぞぉ!」って声が聞こえてきそうな気がするのだ。

亡くなる10時間前に私はアービーから洋服を貰った。
一年経って、やっと皆で冷静にあの日々を語れる様になってきて、改めて知る事も多い。
亡くなった日にイスタンブールで昼間、皆で買い物に出掛けたらしい。私は旦那と一緒に皆に内緒でフェネリウム(フェネルバフチェオフィシャルグッズショップ)へ行っていた。ショッピングにも誘われていたんだけど、ペロリと舌を出しつつ、「いえいえ我々は別な用事もあって」などと言いながらエスケープしていたのだ。
買い物を終えた一同が待たせていた車に乗り込むとアービーが突然「あ!おっちょの服を買ってない」と言ったそうだ。買い物に付き合ってないので別にいいじゃんって思うんだけど、アービーが「他の娘に服を買っておっちょにだけないのはおかしい!」と言ってアブラを連れてショッピングモールに戻ってしまったそうだ。仕方なく一同車の中で待つ羽目になったのだとか。アービーは私にと買った服がやたら気に入ったそうで、車の中で一同に「これ、おっちょに似合うと思わないか?思わないか?」と何度も確認してたそうだ。そんな話を一年経ってから聞かされて又涙が止まらなくなっってしまった。

私の胸の中にも旦那の胸の中にも、間違いなくアンネやアブラの胸の中にアービーは居る。
いつも「アービーに叱られないようにしよう。卑屈になったり、物事を悪いほうに取ったりしないようにしよう。アービーが大事にしてたこの家族を私も大事にしよう」って心が弱く揺れそうな時は呪文のように唱えたりする。

アービー、はでぃばくぬず。おっちょ、まだまだ頑張りますわ。


断るって大変なのよね。

ここを読んでくださってる方が、もし、トルコにいらっしゃったとして、
一番大変な思いをするのは「断る」ってお仕事じゃないでしょうか。

路上の物売りや、絨毯屋さんのお勧めを断るのはそんなに難しくない。
「ヨクジャヌム サーオルン(ありがとう、でもいらないよ)」
「チョクパハール!イスティミヨルム(すっごい高い!いらないわ)」てな感じでOKだ。
何故なら、あなたお客様だけど「ムステリ」と呼ばれるお客様だからだ。

でもね、
もしも、もしもトルコ人の友達が出来てお家に誘われる、
もしくは端からトルコ人のお宅を訪ねていらっしゃる、なんて時、あなたは立派な「ミサーフィル」だ。
日本語では同じ「お客様」だけど、トルコでは完全に区別される。

ここトルコでは「ミサーフィル」は最大のプライオリティ。
ミサーフィルがいらしたら他の予定は全て棚上げ。
その時に出来る最高の接待を考える。
そしてその「最高の接待」とは、
@とにかくゆっくりしていって頂くこと、と
A沢山召し上がって頂くこと。

お夕飯にお呼ばれしたら、朝から何も食べずに行った方がいい。(笑)。
とにかく、これでもか、これでもか、ってくらいの料理がテンコ盛りで饗される。
だいたい元から日本人とトルコ人では胃袋の出来が違う。
同じペースで食べてたら、膨れたお腹のせいで椅子から立ち上がれないかもしれない。
お迎えする方としては沢山召し上がって頂ければ料理した甲斐もあってスッゴク嬉しい。
「ジャポン、ブイエメイチョクホシュマギッティ(日本人がこの料理すっごく気に入ってくれた)」って
その後何年でも同じ料理を作る度に話題にされる事でしょう。
だけど、もし「無理だなあ、食べきれないなあ」って思ったら、そこは心を鬼にして、ちゃんと断る。
旅の最中に胃を壊したら、その後のスケジュールが惨憺たるものになっちゃうでしょ。
食べ物を断ると相手はとっても残念そうな顔をするので、悪い気がするかもしれないけど、
全然大丈夫。怒ってもいないし、そんなに気にしていないから。トルコ人が断る時もすごく素っ気無い言い方をするもの。
食べれないもの食べれないんだからしょーがないじゃん、って感じ。

さて、その肝心の断り方。
食べる前で沢山食べる自信がなければ
「ファズラ・イエミィジャウム・サーオルン」
(沢山は食べませんよ。ありがとう)
「マアレセフ・ザーテンカンナナシシティム・ファズラコイマヌズ・ルトフェン」
(残念ながら・すでにお腹は膨らんでます・沢山よそらないでください・お願いします)
長いかな。
食べてて、お腹いっぱいなのに更に奨められて困った時は
「ドイドゥム・サーオルン」(お腹いっぱいです。ありがとう)
それでも、きっと
「全然食べてないじゃない!もっと食べて、ね?ほら、このスプーンいっぱいだけよそるから」とか
「分かった分かった、じゃあ、この残り、ね、半分私、半分あなた、で、お皿綺麗にしちゃいましょう?」とか
あの手この手で奨めてくるはず。
うーん、ここはウケを狙った断り方をひとつ。
「エリニゼサールック(あなたの手に健康あれ!ご馳走様でした。)
 アンラッハシュクルチョクドイドゥムオルドゥム(神様ありがとう!とってもお腹いっぱいです)」
「ワッラー・ドイドゥム(神に誓って満腹です。)」
この「神様ありがとう!」「神に誓って」って言い回しはかなり宗教的で古臭い言葉なんで
外国人が言うとかなりウケるはず。「アンラッハラーゾースン(ありがたいありがたい)」てのも付けたら最高(笑)。

後いっこ、これはねえ、食べ物だけじゃなくて何にでも使える
ある意味一番カドも立たず、それでいて強い断り方
「ジャヌムイステミヨルム(気が向かないの)」
これが一番強い断り方って少し変でしょ。
でも、これを言うと大概どんな人も引き下がってくれる。
他では、例えば、
今日はなーんにもしたくない気分。
掃除もなんも放っておいてただカネペ(長椅子)に寝っ転がっていたいのよ、なんて日がゲリン(嫁)にだってあるものだ。
普通、日本でそのまま姑に言ったら「なんなのこの嫁」って感じがするでしょ。
でもトルコでは「気が向かない事はしなくていいじゃん」って感じなので、
アンネに「ブギュン・ヒチビシェイ・ジャヌムイステミヨルム(今日は何にもしたくない気分)」って言うと
「あ、そう。」って感じで放って置いてくれる。
いいでしょこれ。
しゃんすっる(この果報者が!)

ミサーフィル(お客様)がいらしても、ミサーフィルに行っても、私はよく「しゃんすっる」って言われる。
意味としては、「ラッキーな人」みたいな感じ。
何故か。
私のカイナタ(舅)カイナナ(姑)がよく出来た人だから。
トルコでは、嫁姑問題は割りに深刻らしく、ノイローゼになっちゃう嫁も少なくないらしい。
その点私は全く心配がない。実の親の様に甘えてる。アンネの前では10歳の子供の気持ちでいられる。
去年、好きでやって来たとは言え、まだ言葉も不自由で、旦那も新しい生活にいっぱいいっぱいで、
周囲は優しいとは言え、言葉に出来ない思いもいっぱいかかえちゃってた時に、助けてくれたのはアンネだ。
その頃はまだトルコ語もちゃんと話せなくて、アンネは英語が全く分からなくて、
仕方が無いので私は、泣きながら日本語でアンネに沢山話をした。
アンネに意味が分かる訳もないんだけど、とにかく何時間でも相槌を打ってくれた。
最後は「クジュームクジューム(私の娘私の娘)」と言いながら抱きしめてくれた。
私自身でも泣いてる理由が分からないんだけど、意味もなく泣きたい気分ってあるもんだ。
日本の母もなかなかよく出来た人で、物分りもよく、小さい時から私を信じて何でもチャレンジさせてくれた。
子供の時には存分に甘えた記憶もあるけど、少々生意気になってからは、親に対してどうしても斜に構えた態度で接していた気がする。強がるって言うのかな。

ここでは私に強がる理由が全くない。
アンネもアブラもババもアービーも口を揃えて「日本のババやアンネから一人離れてなんて可愛そうなんでしょう!」って。
「ああヨシヨシヨシ」って慰めてくれる。もう私は大人で親から離れて泣く様な歳ではもちろんないけど、でもそうやって慰められると「そうよね、そうよね、私頑張ってるわよね」ってな気分に段々なってくるから不思議だ。
で、なんだかちょっと「我侭言ってもいいかな、甘えても許されるかな?」って気分になってくる。
実際、許されてると思う。
私はアブラ(義姉)と話す時に、もう抱きつかんばかりにくっついて首に手を回したり、腕を組んだりしながらって事が多い。
もうクセになってる。私がベタベタしてもアブラが絶対に嫌がってないって確信してる安心してる。
ここまで体重ごとひと様に預ける様な人間関係は私の人生にはなかった。表現が大げさかな。
時々、アンネやババと3人で、旦那の居ない時にゆっくりチャイなど飲んでいると、
「私は本当はここの家の一人娘で、最近トルコ人の婿さんを貰ったんだよな」って錯覚を起こす。
旦那が冗談で私をからかったりすると、ババが「うちの娘に失礼な事言うな!」って感じで本気で気色ばんだりする。
「俺は本当にここの家の息子なのか?」と旦那が嘆くことも度々だ。

旦那とケンカしたら家族全員私の味方だ。
結婚式の前夜、旦那はアービー(義兄)や従兄アービー達に囲まれラクやウィスキーを飲まされつつ
朝までつるし上げられていた。
「お前のゲリン(嫁)はいい子だし、遠い異国から嫁に来て、近くに親もいない。
もし、この結婚に何か問題があれば俺達全員、お前が悪いと判断するからな!」とスゴまれたらしい。
私が泣いていたりすると、まずアンネがアブラに電話をする。するとアブラはtaxiを呼んですっ飛んでくる。
もう一人のアブラは姪っ子(24歳、若い者の意見も必要だろうって事で)を呼びつけつつ息子の車でやって来る。
全員揃ったところで、ケンカの原因も聞かずに、いきなり旦那を断罪するので、逆に私がびびる。(笑)
犬も喰わない夫婦喧嘩で、実はそれまでにすっかりゲチティ(終わって)たりしちゃって。
あ、そうなの?もう終わちゃったの?ってことで、その後はチャイを淹れて皆で飲む。
アンネのケーキを切り分けたりして楽しいお茶会だ。
なんかこうスットボケタ感じが嬉しくて愛おしい。
そんな「小さな大騒ぎ」を沢山経験しながら、私はここの家族になっていくのだなあ、と思う。
果報者とは私のことよ。


シャウバル(トルコのもんぺ)

カッパドキアのカドゥン(女性)ファッションと言えばシャウバル(トルコのもんぺ)だ。
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左は私のシャウバル、アンネのお手製。ウェストはゴムで下の両端から足を出す。
右はアブラがシャウバルを穿いてるとこ。
これを穿いてると、相当お行儀の悪い格好もOKだ。
今では、そんな事を気にする人も少なくなってはいるだろうけど、
私はアンネやババの前で絶対に脚を組まない。親に対して失礼だから。
でもね、これ穿いてると例えばカネペ(長椅子)の上で胡坐かいてても、
全然気にならない。立てひざもOK。ナマズ(お祈り)の時もこれが最適。
慎み深い女性はやはり脚をニョキニョキって出す事をよしとしない、みたい。

私はこれが欲しくて欲しくて、何処で買えるの?ってアンネに聞いたら、
アンタそんなら作ってあげるわよって事でほんの一時間ほどミシンに座って
ちょいちょいって作ってくれた。
初めてシャウバルを穿いた時はババも旦那も大爆笑だった。
やっぱ外国人が穿いてると違和感があるらしい。今はもう慣れちゃったみたいだけど。
高校の時に、隣接する某大学に外国人留学生が結構いて、その中に毎朝ゲタで通学して来る女性がいた。
金髪碧眼のすらっとした女性だったけど、Tシャツ短パンに桐の下駄。
湿度の高い日本ではゲタが快適だったんだろうけど、ちょっと見た目が奇異だった。
ラハットラハット(快適快適!)って私もよくシャウバルを穿くけど、あんな風に見えてるのかなあ?

で、シャウバルはどこまで許されるか?
私は「宗教的にも文化的にも何も問題のない服ならば、これは何処までも許されるはず」って思う訳なんだけど、
この国は今、いくつもの価値観が重層的に交錯している。
服装ひとつ取っても、いろんな意見がある。
シャウバルって古臭い服だ。
お婆ちゃんが穿くもの、って感じ。
我が家のゲリン(嫁)がそんな古臭い格好してるのは恥ずかしいって思うのは、アブラ(義姉)。
「家ん中で着てる分にはいいけど、テラスに出るのもどうかと思うわよ」って。
旦那は「まあせいぜい近所のバッカル(小間物屋)までかなあ。車に乗せてチャルシェ(中心街)には連れてかないよ」って。
アンネは「アクラバの家ぐらいまでだったら車で出掛けてもいいじゃない。似合ってるし」って。
ババは「自分が気持ち良くて、気に入った服ならば何処へだって出掛けたらいいじゃないか」と。
「でしょう?ババ!」って膝を叩いたら、
アンネも旦那もアブラも姪っ子も「ハユル!(NO!)」と声をあわせて否定した。
アンネェー!こんな大掃除は日本じゃ
12月29日にしかやんないんだよー!


テミズリッキ(お掃除)
カッパドキアに嫁に来て、まず驚いたのが徹底的なお掃除。
トルコ主婦の威信に賭けてお家の中はめちゃめちゃテミズ!美しい。
どのお家に行っても、埃ひとつなく、サロンの中、ムトファック(台所)どこもかしこもピカピカです。
もちろん窓も曇ってません。
雨が降った翌日やババがテラスの葡萄の木に特製イラチ(虫除け薬)なんかを撒いた後なんかに
ショイレショイレ♪、と窓もよく磨く。
テンベル(怠け者)のワタクシは日本で窓なんか拭いた事なかったけど、
ここでは2週間に一回くらいは窓拭きするかなあ。
カーテンもよく洗濯する。
うちは旦那がタバコを吸うので、結構ヤニがつくみたい。アンネはしょっちゅう文句言ってる。
それでもね、カラーチャートで比べて見なきゃ分からないくらいの汚れだと思うのよ日本人の私には。
でもアンネが白いペルデ(カーテン)を見て悲鳴を上げる「シンシアー!(真っ黒じゃない!)」
そな大げさな、と思うけど、アンネには見えるのね。
実際、超強力チャマシュルマキネ(洗濯機)に入れると水が真っ黒になるんだからアンネが正しい。
でも私には見えなかったわー。

掃除機は二日に一回くらいかけるかな。
うちは子供もまだいないし、アンネ、ババ、旦那と私の4人なので、基本的にそんなに汚れない。
ババも旦那も元来綺麗好きなんで、ちらかし屋のご主人の居る他の主婦に比べたら楽なもんだと思う。
でも、3日放って置くと、やっぱり何か気になるのよね。
掃除機をかけるとなると、どうせならって事で徹底的にかける。
重いカネペ(長椅子)やオルタセルパ(センターテーブル)何かも全部一度動かす。
絨毯やキリムも引っぺがして、外の陽にあてる。
カーテンも全開にして窓枠から水拭き開始。
水拭きが終わったら、掃除機を隅々までかける。まあるくかけてちゃ駄目なのよ。
かどかどもきゅーっと綺麗にね。
掃除機の後はトズ(埃)を払う。家中ふきふきフキフキ。やたら凝ったデコレーションの
小さな飾りの一つ一つにも細心の注意を払ってふきふきフキフキ。

とにかく、家中舐められるなあ、ってくらい綺麗にする。
初めて一緒にお掃除した時はアブラ(義姉)も来てて、そのアブラなんかも汗びっしょりになっちゃって、
私は「いったいナニゴト?明日バシバカン(首相)でもいらっしゃるの?」ってパニックになったものです。

ひと段落した後にアンネに
「アンネェー!こんな大掃除は日本じゃあ年末にしかやらないんだよぉー!」って言ったら、
信じて貰えず、私のトルコ語が間違ってると思ったみたい。
今では私も家の中でいつもと違う場所に何か置いてあると気持ち悪い。
裸足の足の裏に、ちょこっとヒマワリの種の殻(の欠片)なんかが付くとジッとしてられない。
ヘルタラフタピスピス!(どこもかしこも汚い汚い!)と叫んで掃除機に突進だっ。
すっかり心はトルコ主婦になってしまいましたとさ。
河童考
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クルバン(犠牲祭)
カッパドキアにやって来て最初の日曜日に「クルバン」をやった。
旦那が新車を購入したので、その為のクルバンだ。
前日の土曜日にパザール(露天市)で子羊を購入。
ザッツカッパドキアンライフの幕開けだ!

クルバン当日、早起きして準備。
アンネが「貴方は泣いちゃうから見なくていいからね。家の中に居なさいね。」と言う。でも実は私、興味津々。旦那に「見てはいけないものなの?」と聞くと「絶対泣かないって約束出来るなら見ててもいいよ」と。では拝見。その瞬間自体は目を覆ってしまったけど、ババは仔羊を苦しませず一声も泣かせずに屠ったので、きっと天国に行ってくれたはず。ババは手際良く捌いていく。私は泣くどころか、いつの間にやらババを手伝って皮を剥いだり、足を持ったり、ババもちょっと驚いてた。
大まかに切り分けたところで、肝心の儀式を。
旦那が車で子羊の血の上をトコトコと渡る。新車が事故をなど起こしませんようにとアッラーに祈る。
家を買ったりした時もクルバンをするそうだ。

その後、その車で切り分けたお肉を配り歩く。基本的に「貧しいお宅」へ配るそうなんだけど、クルバンのお肉持って隣人が現れたたら嫌な気しないのかな?もし日本でこんな習慣があったら「ウチって貧乏って思われてるわけぇ?」って複雑な気持ちがしそうだなあ。でも、皆さん何の衒いもなく「ありがとう!」と受け取ってくれる。そこら辺の気持ちのところも今後このカッパドキアンライフの中で探っていきたいな、と。
一通り配り歩いて、家に戻るとアンネがおやつに子羊のレバーを塩して炒めてくれた。私は旦那から「クルバンのお肉はクルバンをした人は1gたりとも食べてはいけないのだ。すべて貧しい人に配るのだ」と聞いてたので、困惑してしまった。ババは「イエイエ(食べろ)」と仕切りに勧める。 旦那の顔を見ると「君はまだ僕と結婚していないんだから食べなよ。僕は食べないけど」と言う。まあ、車は旦那のもので、私達は旦那を手伝っただけって事になるのかな。では遠慮なく戴きまーす!

旨い!!!!

塩して炒めただけなのにナンテ何て美味なの?!
新鮮って事では間違いなく新鮮。でもそれだけでこんなに美味しいものなの?柔らかいのに心地よい歯ごたえがあって、臭みはないのに、肉汁の香りがなんとも言えず鼻から抜けていく。ああ、お肉ってこんなに美味しいものねえ、と改めて肉の味を知った気がする。

ああ早く次のクルバンやらないかなあ。じゅるっ。
カッパドキアに嫁に来て、ババやアンネと一緒に暮らすうちに、頭に浮かんだ事を取り留めなく書き綴っています。
「トルコとは」「トルコ人とは」などと大上段なお話は出来ません。
私が日々接する家族や親戚やご近所さん達を見ながら、改めて日本で育った自分自身を振り返っています。
至近距離、小さな窓から見たカッパドキアと東京下町の比較文化論。
私のトルコ語では、うっかり誤解したまま書いてしまう事もあるかもしれません。
もし、お気づきの点がありましたら、管理人宛にぜひメールをください。
また質問などございましたら、ご遠慮なくBBSなどにお書きください。
まだまだ勉強中ではございますが、旦那やアンネ&ババの助けを借りながら分かる範囲でお答えしていこうと思います。
と題して、「私もカッパドキアで考えた」
       (ってこれパクリになる?)

Sunday, August 14, 2005